「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」を観ての感想(ネタバレあり)

まえおき。

こればかりは見ておかないといけないと思っていた。ハリソン・フォードが亡くなるかも分からない年齢だし、病気して引退になるかもしれない。ブルース・ウィルスの姿だってもうスクリーンで見ることは叶わないのだから、例え映画がつまらなかったとしても、その人が生きている内にその姿を見ておこうというのは、映画館に行く理由としては十分だ。

今回も考古学に真面目な人は見ないほうが良い。

インディ・ジョーンズの職業が考古学者であることは周知の事実だが、遺跡と遺物をぶち壊しまくる姿から、歴史を学ぶ者からは「あれは学者ではなく破壊と盗掘の限りを尽くすヤベェ奴」とも評価されている。
今作でものっけからナチと略奪品を奪い合い、現代パート(1969年かな)になっても遺物をぶち壊す姿がありありと映される。真面目な学者先生と考古学に目覚めてしまった大学2年生くらいの人は、きっと怒りで拳を震わせるだろう。
とにかく、今回も文化財が破壊されるシーンがいろいろあるので、フィクションをフィクションとして楽しむことのできない真面目な方々にはお勧めできない。

個人的に気になって仕方がなかったマイナスポイント

画角はそのままでフォーカスが変化するシーンを見たことがあるでしょう。

なんだか今回の映画、妙に気になって仕方がない箇所がいくつかあった。気になるっていうのはつまり、露骨なフォーカス変化に違和感を覚えるというか、「あーこれカメラで撮っててフォーカス変えたなぁ」っていう。映画を見ている時はどこかに追いやっている「これは作り物なんだ」という意識が、無理やり戻ってきたような感覚。
これを感じたシーンって、遠くのものにフォーカスしたとき、映像が歪んだように見えた。フォーカスアウトしてた被写体が形を現わす…というのではなく、引き伸ばされていたものが元の形に戻るという感じ。それがとても人工的な印象があって、しかもちょいちょい出てくるもんだから煩わしい。映画自身に映画を見ることを邪魔されているようだ。

インディ・ジョーンズの終焉

役者の年齢云々は抜きに、インディ・ジョーンズというキャラクターが今作で完全に終焉を迎えてしまったと感じたこと。
序盤、アポロ11号が月面着陸を果たしたことを記念して街中はお祭りムード。学校の講義で生徒に質問を投げかけても反応はなく、テキストも誰も読んできていないありさま。でもパレードのことなら…、宇宙のことなら生徒みんなテンションが上がりだす。ジョーンズ先生も学問としての「歴史」も時代に取り残されていっているようだった。
それからアンティキティラのダイヤルを巡る冒険へと繋がっていき、いろいろあってタイムスリップしてシラクサ包囲戦の只中に辿り着いてしまう。
そこでジョーンズがこの時代に残ると言い出すわけだ。ジョーンズの言い分としては、人生をかけて研究してきたことが今目の前に存在している残りたいというが、それは歴史学者として考えることを諦めてしまったように見える。もちろん、正解の分からず考えるしかないフィールドにおいて、その答えを実際に見ることができるとならば魅力的だが、考えることを止めてしまった学者にいったいに何が残るというのか。
インディ・ジョーンズ映画って、強大な力を秘めた過去の遺物を使って未来を手にしようとする敵組織と、それを阻もうとすると主人公サイドという対比構造でストーリーが進む。
各回で話が展開されるまでに描かれるジョーンズ像は少なくとも、歴史研究に対してポジティブに取り組んでいる人物だった。しかし今作、ジョーンズが齢を取っていることと時代が変化していることを描いてから話が広がっていくものだから、ダイヤルを巡って冒険を繰り広げるジョーンズの姿は自分が見たかったものではあるものの、自分の相手をしてくれる人がいなくなった老人が「歴史」に寄る辺を求めているように見えた。死期を悟った猫が、自分が最も安心できる場所に身を置こうとするかのようである。聖杯を手に入れようとしたのを父親に諫められるようなアクションヒーローはいないのだ。

この映画を見る価値はあるか。

これはある。
冒険活劇モノとしての教科書のようなシリーズであったし、上段で不満点をつらつら書いてはいるものの、やっぱり楽しい。
歴史を題材としたときの“if”の面白さ。それからアクション→チェイス→謎解き→冒険 の流れは視覚も思考も楽しませてくれる。
今後もこの手のジャンルは無くならないで欲しいと願う中、頼みの綱はアンチャーテッドだけかもしれない。

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